ハイパースケーラー銘柄:ボラティリティ上昇はコール・オプションに好影響、プット・オプションに悪影響
今から52年前、経済学者のロバート・マートン(後のノーベル賞受賞者)は、社債の評価に関する画期的な論文を発表しました。「マートン・モデル」には多くの限界が指摘され、金融学界では数十年にわたり克服に向けた取り組みが続けられてきましたが、「企業の資産を原資産とすれば、株主はコール・オプションの買い手、債券保有者はプット・オプションの売り手である」という中核的な発想は揺らいでいません。言い換えると、株式投資はアップサイドを狙う取引であり、クレジット投資はダウンサイド・リスクの緩和を重視する取引ということになります。
この考え方は、ハイパースケーラー(AI基盤構築に欠かせないクラウドコンピューティングとネットワークインフラを提供する大手企業)の資本構成上で観察される、最近の動きの多くを説明しています。
株式市場では4~6月期に入って、テクノロジー・セクターに対するセンチメントが顕著に改善しています(5月第3週後半の下落局面を除く)。背景には、同セクターの1~3月期決算が比較的好調で、過剰な設備投資リスクに対する投資家の懸念が緩和されたことが挙げられます。センチメントの改善は、半導体企業やハイパースケーラーをはじめとするAIのエコシステム全体に広がり、1~3月期は総じて低調であったソフトウェア企業にも波及しています(図表1)。
このような株式市場とクレジット市場における対照的な値動きを解釈する上で、マートン・モデルの枠組みは有効と考えられます。負債を原資とするAIインフラ向け投資の成果は不透明であり、結果は大きく揺れ動く可能性があります。そのような状況では、株式のコール・オプションの価値が上昇する一方で、債券保有者が暗黙の売り手となるプット・オプションのリスクは高まる傾向があります。マートンの概念に置き換えると、資産価値の増加に合わせてプット・オプションの行使価格も上昇する、ということになります。
株主の観点では、アップサイドがある以上、そのリスクを取る合理性があります。債券保有者の観点では、ダウンサイド・リスクが現実的なものであるにもかかわらず、アップサイドは他者に帰属するという構造です。このような株主と債券保有者の利害の乖離は、古典的な資産代替問題の一例であり、クレジット投資家は価格に織り込む動きを強めています。企業が財務レバレッジを再び引き上げる動きに鈍化の兆しが見られるまでは、資本構成上の相反関係は続く公算が大きいと考えられます。
レバレッジド・ローン:スポンサー・プットはもはや機能しない
ソフトウェア・セクターの中でも、プライベート・エクイティ(PE)のスポンサーが付く銘柄と付かない銘柄の間で、明確な乖離が確認されています。新型コロナウイルスの感染拡大期など過去の下落局面では、PEファンドによる所有/スポンサーは支援材料と見なされていましたが、足元でその状況に変化が見られます。PEの投資先企業を借り手とするローンは、スポンサーが付かないローンを大幅にアンダーパフォームしています。インデックス・レベルで見ると、こうしたパフォーマンス格差の要因は、PEファンドによるスポンサーの有無に限らず、信用力やセクター構成の違いによるとの見方も当然ありうるでしょう。こうした反論に対応するため、より詳細な分析を行い、その結果をより説得力のある2つの手法で示すこととしました。
1つ目の手法として、S&P UBSレバレッジド・ローン・インデックスを構成するB格のソフトウェア企業向けローンを対象に、PEスポンサー付き銘柄のグループと非PEスポンサー付き銘柄のグループに分けることで、信用力とセクターの違いを調整しつつ、同条件の比較を行いました。図表4は、このように相違点を厳格に調整したベースでも、PEファンドによる所有がパフォーマンスの足かせになっていることを示しています。
CLO(AAA)のパフォーマンス:ソフトウェア・セクターからの波及的影響は今のところ見られない
ソフトウェア企業向けローンの再評価が進む一方で、レバレッジド・ローン市場全体としては、同セクターからの影響の波及はおおむね限定的であり、目立った足かせにはなっていません。このように影響が抑制されていることが、ローン担保証券(CLO)のAAAトランシェのスプレッドが際立って堅調であることの一因となっています。
年初来、CLO(AAA)のスプレッドは、レバレッジド・ローンとの過去のスプレッド感応度(ベータ)が示唆する水準を、大幅にアウトパフォームしています。過去の経験則が当てはまるとすれば、レバレッジド・ローンのスプレッドが年初から30bp拡大したことによって、CLO(AAA)のディスカウント・マージンは11bpほど広がったはずですが、実際には10bp縮小しています(図表6)。
インデックス・レベルで影響が抑制されていることに加えて、CLO(AAA)のアウトパフォーマンスを支える大きな要因の1つとして、シニア・トランシェに対する支払いが劣後トランシェよりも契約上優先される、構造劣後の仕組みが挙げられます。CLOのポートフォリオにソフトウェア関連のエクスポージャーが含まれる場合でも、AAA格の水準では下位トランシェによるクッションが非常に大きく、損失が波及するためのハードルは極めて高い状況にあります。AAAトランシェの劣後比率は「ディープ・アウト・オブ・ザ・マネー」の水準であり、また、CLOのポートフォリオは一般に数百の銘柄、数十のセクターに分散されています。
このため、CLO(AAA)のスプレッドが再評価によって大きく拡大するためには、ストレスが単一のセクターを超えて広範に波及し、歴史的な水準を大幅に上回るデフォルト損失を生じさせるシステミックなクレジットイベントの発生が前提となります。とりわけ米国において底堅い経済成長が持続する中、そのようなシナリオは引き続き基本シナリオから大きく外れた状況にあります。
本稿はマイケル・パンペルとガブリエル・カゾビエイユと共同執筆しました。