今年1月と2月に公表したレポート「マクロ経済の羅針盤」において論じたように、人工知能(AI)に関連するテクノロジーの急速な普及を受けて、世界経済の多くのセクターでは驚異的なスピードで構造転換が進んでいます。上記レポートの公表後、米国では、AIの導入を支えるイノベーション、構成要素、インフラ、エネルギーなど、関連する需要が飛躍的に増加し、インフレ圧力を押し上げ始めています。国家安全保障上の重要性が増していることを踏まえると、今後もインフレ圧力は持続する可能性が高いと考えられます。
もっとも、中長期的に見ると、AIの影響への適応が進むことで、ディスインフレ圧力に転じることも考えられます。AIが生み出す所得の総額が、労働者や消費者に十分に還元されなければ、なおさらです。
加速するAI向け投資
この1年間、大手AI開発企業による新型モデルの投入を背景に、AIの性能向上が進んでいます。一連の性能評価の結果から、アンソロピック社の「ミュトス(Mythos)」の性能が、サイバー攻撃の阻止能力(あるいは支援能力)を含めて、他のAIモデルを凌駕していることが確認されています。イラン戦争をはじめ地政学リスクの火種がくすぶる環境において、多くの組織や政府機関では、効率性や生産性を向上させる手段としてのAIから、国家安全保障上の脅威(大規模なサイバー攻撃を含む)に対抗するために必要なテクノロジーとしてのAIへと、議論の重心が移りつつあると見られます。
その一方で、過去数十年で最大規模のエネルギー供給ショックが世界的に広がる中でも、AI導入による生産性向上への期待から、米国では実用化やインフラ整備に向けた投資が加速し、資産価格は下支えされています。足元では、さまざまな要因が重なることで、新たな切迫感が生じているとみられます。その結果、AIチップやメモリーカードなどの部品に対する需要が前倒しされ、政府のデータによると価格は急激に上昇しています(図表1)。
米国では、AIに関するテーマが需要の短期的な押し上げ要因となり、コンピューター、メモリー、ゲーム関連部品、その他AI関連製品の消費者価格は上昇傾向にあります。こうした品目は、米連邦準備制度理事会(FRB)が重視する個人消費支出(PCE)指数に占める比重が比較的高く、同指数には上昇圧力が確認されています。その結果、エネルギー価格の高騰が主要セクター(旅行サービス等)に与える影響にも目配りする、FRBの政策運営は複雑化しています。実際、これはPIMCOの基本シナリオとは異なりますが、市場では2027年の利上げ見通しが織り込まれるようになっています。
金融市場やFRBでは、AIが経済に与える短期的な影響について議論が重ねられているものの、中期的な影響も軽視するべきではありません。AIの導入によって可能性の限界が広がるにしても、その恩恵が経済全体で均等には行き渡らない可能性があります。恩恵の大部分が、資本保有者や一部の技能労働分野に集中する可能性があります。
米国経済において、効率性と生産性が向上し豊かさが増すことの恩恵が、労働者に十分還元されずに実質賃金が伸び悩めば、(政策要因による物価の変動はあり得るにしても)長期的には物価の下押し圧力が強まる可能性があります。
失業が最適なベンチマーク指標とは限らない理由
一部の業界関係者の間では、失業の構造的な増加はAI導入に伴う不可避の現実であるとの指摘がありますが、そのような形にならずとも、AIのもたらす恩恵が資本保有者に過度に集中する展開は想定されます。
改めて考えると、技術の変化が大量の失業を生むという懸念は、決して新しいものではありません。経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、1930年に「技術的失業(technological unemployment)」という言葉を用いて警鐘を鳴らしています。また、重要な技術進歩が実現するたびに、同様の予測が繰り返されてきました。
しかしながら、歴史的な経験に基づくエビデンスは、技術進歩が失業を長期的かつ構造的に増加させるわけではないことを示唆しています。米国では、1960年以降、労働生産性が4倍近く向上する一方で、総労働時間は労働力供給の伸びとおおむね整合的な形で約2.3倍になりました(出所:米労働統計局)。過去数十年にわたり、重要なイノベーションと変革を経験してきたにもかかわらず、持続的な大量失業は生じていません。
だからといって、技術の変化が痛みを伴わなかったわけではなく、セクター全体で雇用が置き換えられ、労働力の移動が生じた事例も見られます。例として、米国経済は2000年代に、製造業からサービス業への大規模な雇用の移転を経験しています。インターネット革命によって、品目の追跡、ジャストインタイム方式の在庫管理、細分化されたサプライチェーン間のコミュニケーションの改善を可能にするイノベーションが実現し、中国などへのアウトソーシングが容易になりました。また、テクノロジーの発展によって、物理的な生産工程と設計・管理工程の分離も進み、貿易経済学者のリチャード・ボールドウィンはこの傾向を「第2のアンバンドリング」と呼んでいます。
このような変化の代償は、労働者にとって非常に深刻なものとなりました。米国では、単に製造業から雇用が移転しただけではなく、同じタイミングで、脱労働組合化の動きが進展し、労働者の交渉力が低下したとされます。マサチューセッツ工科大学のデイビッド・オーター教授の調査が示すように、働き盛りの年齢層の男性をはじめとする一部のコホートは、労働市場から完全に離脱しています。
米国における労働分配率の長期的な低下
ここ数十年にわたり、技術の変化がもたらす影響を測定する指標として、労働分配率が有益な情報を提供してきました。
米国では1940年代から1980年頃にかけて、生産性が向上する過程で労働分配率はおおむね安定的に推移していました。研究、インフラ、生産能力、原子力・航空宇宙技術の分野における公共投資の効果は実体経済にも波及し、特に1960年代において生産性の伸びを押し上げました。この期間中、技術進歩と生産性の向上は製造業にとって追い風となる一方で、国内労働を補完する役割が中心でした。つまり、労働者は、おおむね安定的な労働分配率の恩恵を享受していたことになります。
しかしながら、1980年代以降、この構図は揺らぎつつあります。特に2000年代以降、テクノロジーによって生産とサプライチェーンのグローバル化が実現し、低コストの労働力が大量に供給されるようになると、労働分配率は低下傾向にあります (図表2)。これは米国に限らず世界的に観察される傾向であり、ネット・グロスいずれの指標にも共通して見られます。
この期間中、全体として、技術進歩の恩恵は労働者側よりも資本保有者側に、比較的技能の低い労働者よりも高い労働者に及んでいます。米国では2000年代以降、比較的技能の低い労働者の実質賃金水準が横ばいもしくは低下傾向にありますが(出所:米労働統計局)、こうした傾向は事あるごとに「技能偏向型技術変化」と表現されています。
2000年代の経験と同様に、AIがもたらす破壊的な影響には、セクターや職種によって差が生じると予想されますが、長期的に見ると、AIによって代替できないタスクへと、労働力が再配分される可能性が高いと考えられます。ヘルスケア、教育、建設などのセクターでは、現在の技術的制約や人口動態に起因する需要を背景に、すでに労働力を吸収する動きが進んでいます。再配分の結果、実質賃金が生産性の伸びに追いつくかどうかが重要な問題になります。
労働分配率がとりわけ悪化しやすい要因
労働分配率に対するリスク要因として、AIの2つの構造的な特徴が挙げられます。
1つは、AIの代替性とスケーラビリティ(拡張性)です。AIはスケーラビリティが非常に高く、従来の技術革新と比較した場合、労働を広く補完するというよりも、完全に代替するか、よりピンポイントで補完する可能性が高いと考えられます。すなわち、従来は労働集約的だったタスクを代替することで、投資の相対的なコストを押し下げる公算が大きいといえます。また、技術の進歩や普及のペースが従来を大幅に上回るため、賃金水準が同程度の労働集約的なタスクが新たに創出される前に、雇用の置き換えが広範に進むおそれがあります。Eloundouらは研究1の中で、AIの影響を受けやすいタスクと職種の対応関係を整理しています。PIMCOでは、この研究をベースに、米国の労働市場全体の中で、約4~7%が雇用置き換えの高いリスクにさらされていると推計しています。さらに、少なくとも一部のタスクが置き換えられるリスクがある職務は、これを大幅に上回ると考えられます。また、AIが登場する前から賃金水準が相対的に高かった情報技術、専門サービス、金融などのセクターはリスクが特に高い一方で、一般に賃金水準が相対的に低いヘルスケア、個人向けサービス、食品サービス、建設などのセクターは、リスクが特に低いと考えられます。
もう1つは、ハイパースケーラー(大規模クラウド事業者)による市場支配力の強化です。AIの導入が進む過程で、ハイパースケーラーは大規模かつ非対称的な知識基盤の蓄積を進めています。その結果、市場支配力が強化され、より大きな価値を取り込む能力が向上する可能性があります。あるAI開発企業は、最近公表した研究論文2の中で、エンドユーザーが自社のモデルをどのように使用しているかを容易に把握できることを実証しています。この企業は、ワークフローの利用状況に基づいて、現在実際に置き換えが進んでいるタスクと、自動化や置き換えの余地が大きいタスクの最前線をマッピングする能力を備えています(Eloundouらが概要を示したとおり)。このように情報が集中する中で、ごく少数の企業において、以前よりもマージンや利益を拡大しやすくなっている可能性があります。
労働分配率の低下がもたらす広範な影響
生産性の向上と労働分配率の低下は、平均的な生活水準は向上し得る一方で、所得と富の格差が持続的に拡大するリスクがあると示唆しています。歴史が参考になるのであれば、そうした状況において、中位投票者の選好は、ポピュリスト的な政策の方向へとシフトする可能性があります。同時に、深刻な問題に直面する人々を支援する必要性から、規制の方針が自由放任主義から積極的な介入主義へと移行することも考えられます。
その一方で、政府がどのような形でAIの分野に介入するかは、また別の問題です。20世紀半ばの核軍拡競争の状況と同じように、今やAIは国家安全保障上の要請と見なされている可能性があります。大手AI開発企業は、国を代表する企業(ナショナル・チャンピオン)として位置づけられています。しかし長期的に考えると、とりわけ有権者からの圧力が強まることになれば、政策当局は「国家安全保障上の優先順位」と「市場集中の深化、労働市場の再編、労働分配率の低下に伴うリスクとコスト」とのバランスを、調整する必要に迫られるかもしれません。AI推進に対する反発を示すエビデンスは、世論調査やデータセンター建設の反対運動などを通じて確認されています。
現在の不確実性が高い環境において、投資家はレジリエンス(強靱性)に重点を置き、分散と柔軟性の強化、集中リスクの抑制、アクティブ運用の推進に注力すべきと考えられます。AIの導入に伴い、投資需要の高まりと生産性の向上が見込まれる中で、中央銀行が「r*(アールスター)」と呼ぶ自然利子率(中立金利)の水準は押し上げられ、今後も上昇傾向が続くとの見方もあります。
もっとも、PIMCOは必ずしもそうした見方をしていません。労働市場の再編に関する不確実性の高まりを受けて貯蓄需要が増加し、AI関連のインフラ整備などの投資需要の増加の影響が相殺されることも考えられます。2003年に自然利子率の測定に関する影響力の強い論文を執筆した、ニューヨーク連銀のジョン・ウィリアムズ総裁が最近指摘したように、歴史的に見ると、労働分配率を押し下げた要因は、「r*」の低下と同時に観察されています。また、格差の拡大と「r*」の低下を関連づける研究も示されています。
1Tyna Eloundou, Sam Manning, Pamela Mishkin, and Daniel Rock. 「GPTs are GPTs: An Early Look at the Labor Market Impact Potential of Large Language Models.」arXiv .org paper 2303.10130 (2023年8月改訂).↩
2Maxim Massenkoff and Peter McCrory.「Labor market impacts of AI: A new measure and early evidence.」Anthropic Economic Research (2026年3月).↩